岡山県、平成30年度日本遺産に『「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~』が新規認定!

いにしえに吉備(きび)と呼ばれた岡山。この地には吉備津彦命(きびつひこのみこと)による温羅(うら)と呼ばれた鬼を退治した伝説が語り継がれ、昔話桃太郎の原型になったとされています。伝説では、絶壁にそびえる古代山城は温羅の居城とされ、約1800年前の巨大墓に立ち並ぶ巨石は命(みこと)の楯(たて)となりました。戦いの後、勝利した命(みこと)は巨大神殿に祀られ、敗れた温羅の首はその側に埋められ、この地で吉凶を占っています。鬼退治伝説は古代吉備の繁栄と屈服の歴史を背景として生み出され、 伝説の舞台となった吉備の多様な遺産は、今も訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれます。

古くから語り継がれてきた吉備津彦命による温羅退治の伝説は後世に引き継がれ、昔話の桃太郎による鬼退治の原型となったとされています。 この昔話は、川を流れてきた大きな桃から生まれた桃太郎が、村を荒らし悪さをする鬼と戦うために、道中で家来となった犬、猿、雉とともに鬼を退治する物語。
桃太郎の名の由来となった桃は、古来より魔よけの道具として使われていました。吉備の地は、晴天の多い温暖な気候に恵まれ、古くから桃が栽培されています。桃太郎が犬、猿、雉を従えるために与えた「きびだんご」の原料の黍(きび)は、吉備の地名に由来するともいわれ、今では岡山土産の代表に。また、桃太郎の家来の犬、猿、雉は、「犬飼」の名前などで、今もこの地に残っています。このような岡山の気候、風土、歴史と温羅退治の伝説とが密接に結びつき、桃太郎はこの地で生まれました。
遠く瀬戸内海まで見渡せる鬼城山の絶壁から眼下を望めば、古くから護り伝えられた巨大古墳などの多様な遺産と、ほかでは見ることのできない吉備津彦命と温羅の戦いの世界が広がり、吉備の地を訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれるでしょう。

温羅を退治した吉備津彦命は神として祀られました。吉備津神社と吉備津彦神社は、命が陣を構えその墓がある吉備の中山の麓にあり、吉備津神社には、鳥が翼を広げる姿に見える屋根の巨大本殿をはじめ、約400mもある長大な回廊や650年以上前の門などの建造物が現存し、本殿の北東部の艮御崎宮(うしとらおんざきぐう)では温羅も祀られ、温羅の顔を思わせる鬼面も伝わっています。
「ヴォーン、 ヴォーン」とまるで鬼がうなっているように聞こえる釜の音。今も御釜殿では、この音で願いが叶うかを占う「鳴釜神事(なるかましんじ)」が執り行われています。また、この吉備津神社では、毎年1月3日、 吉備津彦命が温羅との戦いに矢を置いたとされる「矢置岩」の前で空に矢を放つ「矢立(やたて)の神事」も行われ、 初詣の参拝客の目を楽しませています。

伝説の背景にある大和に対抗する吉備の勢力 -巨大な墓-
伝説の背景にある大和に対抗する吉備の勢力 -巨大な墓-

古代吉備は、大和に匹敵する勢力を誇っていました。しばしば大和と対抗し屈服したことが『日本書紀』や『古事記』からうかがえ、吉備津彦命と温羅との戦いは、実は大和と吉備の対立を反映したものといわれています。
吉備勢力の強大さを物語るのは、かつての王たちの墓。温羅伝説にも登場する約1800年前に築かれた楯築遺跡は、同時期の墓としては日本最大級であり、これに続く時期の鯉喰神社一帯の墓も巨大です。また、墓での祭りに使用された円筒形の土器は、この地方で使われ始めたもので、のちに古墳で行われた祭りの道具である埴輪の原型となった。さらに、5世紀代の造山(つくりやま)古墳・作山(つくりやま)古墳・両宮山(りょうぐうざん)古墳は、近畿の天皇陵古墳に匹敵する規模を誇り、小高い山と見間違うほど。 自由に登ることができるため、その巨大さを体感でき、あたかも祭壇のような段造りの様子や水濠で囲まれた形も見ることができます。
今も残る巨大な墓は、古くから文化が花開き、強大な勢力が存在していたこの地の繁栄を感じさせてくれます。

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