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茶道を習い始めて2年が経ちます。
最初は「大好きな着物を着る機会を増やしたい」という邪(よこしま)な理由でしたが、茶道の歴史や背景を知るのにつれて、ますますその魅力にハマっています。
日本の茶道は総合芸術、「小さな宇宙」と表現されます。季節や茶会の趣向(テーマ)に合わせてお茶碗、茶入れ、茶杓、掛け軸、茶釜、水差し、蓋置きなどをコーディネートする。客人を招いた亭主による「おもてなしの心」とセンスが問われます。
茶室へ入り、最初に拝見するのが床の間の掛け軸。一般家庭の和室では花鳥風月を描いた掛物をよく掛けますが、茶道の場合は禅宗に由来する教えを五言一句で記した「一行物」を掛けるのが一般的。禅語はもともと中国の漢詩に由来しますが、それらを読み解くと「人としてどう生きるか」といった哲学的な教えを得ることができます。
私はまだまだ初心者なので手順を覚えるのに精一杯ですが、上級者のお点前を拝見していると、清流のようにさらさらと道具を扱う手先が、それはもう美しく。静寂な空間で、美味しい季節の和菓子と香り高い抹茶をいただくひととき。慌ただしく過ぎ去る日々のなか、ひとときの安らぎを感じることができるのです。
ちなみに、今では女性の習いごとという位置付けになっていますが、茶の湯の世界を知らしめた千利休が活躍した時代は、全く異なるものでした。稀代の将軍・織田信長や豊臣秀吉から庇護を受け、茶道は武将たちにとって「教養」であり「ステイタス」だったのです。
茶室と呼ばれる小さな空間で、国を司るトップたちによる極秘の交渉が行われ、戦に勝つと報奨金がわりに名物の茶碗や茶入れを贈呈される。それらの茶道具は、何十万石という広大な土地と匹敵する価値を持っていました。
明日の命さえどうなるか分からない。死と隣り合わせの武将たちにとって、お茶はひとときの静寂、自分の心と静かに向き合う時間だったのかもしれません。近年では、そうした歴史・背景に気づいたエグゼクティブたちの間で、茶の湯を学ぶ傾向があるといいます。
目的がいずれにせよ、心身を養ってくれる茶の湯の世界。良かったらご一緒に味わってみませんか?

Posted by
三角由美子 Yumiko MISUMI
東京・熊本でフリーペーパーの編集者を経て、フリーライターとして活動(熊本在住)。畳職人の長女として生まれ育ち、現在も畳のある暮らし。きもの・漆器・和菓子・お香・仏像・寺院巡りなど、ニッポンの伝統文化にトキめいています。
著書/『熊本カフェ散歩』、『くまもとの海カフェ山カフェ』