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「Live! Love! Drive!」

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  • Drive Nippon vol.10

鷹匠裕の「Live! Love! Drive!」

第11話『ピザとピッツァ』

「あ、また始めたんだ」
テーブルの上に置いた『テレビでイタリア語』のテキストを見たサチが言った。
しまった、来る前に隠しておくべきだった、と僕は思った。「また」という言葉にいつもの辛口の皮肉が籠っている。
「今度はちゃんと続けるよ」
僕は今朝NHKテレビの講座を見ながら書き込んでいたノートを見せながら言った。前の年も4月号からテキストは買って、画面のタレントに続いて発音練習なんかしていたけれど、なんとか続いたのはゴールデンウィークくらいまで、6月からはテキストを買いに本屋に寄りさえしなくなった。
その夜、サチが部屋に来たのはもう日付が変わったあとだった。店は夜中の2時までやっていて、店長と副店長の名で二人いる正社員は早番と遅番でシフトを組んでいる。サチはその夜遅番だった。以前は閉店後の片づけを見届けなくては遅番の社員は帰れなかったのだが、それが事実上サービス残業を強いているという実態が業界全体で問題視されて、最近はパートのスタッフに後を任せて帰ることが可能になった。
僕自身が、そのファミリーレストランを運営する会社でした最後の仕事が、その運営ルール変更だった。
会社は回転すしやしゃぶしゃぶの和食、ハンバーグ中心の洋食から中華料理店までいくつもの業態のチェーン店を経営していた。僕は大学を出て入社5年目に、しゃぶしゃぶ店の副店長から、新たに会社が始めることになったイタリアンの第一号店の店長になった。同期入社の中ではトップの「出世」だったが、それまでに同期は半分近くが辞めていた。正直、仕事はしんどくて、新しい業態の最初の店長になるということがなかったら、僕も辞めていたかもしれない。こんなことなら高校時代にもう少し勉強してもっといい就職ができる大学に行けばよかった、と悔やんだほどだ。
だが外食産業の競争が激化する中で、幸か不幸か会社は、新しいイタリアンの店のコスト水準を大胆にもほかのチェーンより高めに設定し、提供メニューのクオリティや店の雰囲気にこだわって見せた。そんなもこともあり、何しろ誰もやったことがないことに毎日挑んでいくのは、それなりにやり甲斐があった。純粋な日本人の店員がお客さんに「グラッチェ!」とか「ペルファボーレ!」なんて呼びかける決まりは、店長の僕自身、どうにも照れ臭かったけれど。
その店で、僕は調理専門のスタッフに交じって、イタリア料理の講習をあれこれと受けた。ほとんどが会社のセントラルキッチンで作り配送されてくるほかのチェーンと違ってイタリアンのチェーンは店内で調理する割合が異例に大きかった。僕も見様見真似でオーブンを開き、フライパンを返した。そのことが自分の何かに火をつけた。いつしか、自分の中でイタリア料理の店をやってみたいという気持ちが芽生え、自分だったらどうするかという目で会社から与えられたメニューを研究し始めた。
店長をやっていた店は順調に売り上げを伸ばし、一年半で後輩に引き継ぐことになった。自分は、フィールドスーパーバイザーという会社側から地域の各店を管理する役割を与えられることになった。
そんな時に知り合ったのが、管轄のイタリアンの三号店でアルバイトとして働いていたサチだった。まだ学生だったが、クラブ活動の賜物なのか、客さばきが的確で、メニュー提案などもしてくる熱心さを買って、卒業後正式に入社するように誘ったのは僕だった。
入社面接も自分がした。そしてイタリアンのメニューについて二人で話をしていると時間を忘れるほど熱中することに互いに気づき、いつしか、理想とする店をやりたいという夢が二人の間で語られるようになった。採用した人材を、自分が独立して始める店に引き抜いて一緒に辞めさせる、と言ったら会社に対する背信行為になるだろう。だがそんなことに構う気になるほどには、「会社」に愛着は持っていなかった。
二人で休みを合わせ、自社以外のイタリアンの店を食べ歩きするようになった。ワインを飲むことを前提に電車で出かけることもあったが、不便なところにあるが評判を聞いてぜひ行ってみたい、という店には、どちらかがワインを我慢することにしてクルマで出かけて行った。サチの運転は思い切りがよく、クルマのナビが予想した時刻より早く着いた。ナビに溜まった店の目的地履歴は、あっという間に50件を超えた。
二人で開く店は、どこにでもある店にはしたくない、というのが僕とサチの共通した意見だった。身びいきではないが、そこそこの味なら、満足できる小洒落たイタリアンがもうどこの街にもあった。それどころか、いまの勤務先でけっこう実現できてしまう、というのが率直な実感だった。
だから、そこそこでないことをやりたい。まず自分たちがやりたいこととして、ピザの生地も、パスタもほかから仕入れず、すべて手打ちにする。肉や魚貝は仕入れるけれど、香草や野菜はできる限り自家栽培する。その二つを決めた。コストは当然上がるが、何よりも自分たちが食べたいと思う料理を出す、という理想に二人は燃えていた。
僕は会社に辞表を出し、一応は慰留されて、残務整理と引き継ぎのために半年後に設定された退社日を今か今かと待った。
だが、「夢」が「計画」に変わったころから、僕とサチの間にすきま風が吹き始めた。素材だったりメニューだったり、店を出すのを商店街にするか住宅街にするかだったり、具体的なテーマになると二人の意見は食い違い、お互いに譲らぬまま朝まで議論することも少なくなくなった。
 
その看板を見つけたのは、そんなある日のことだった。仕事で営業店回りをしている間に、信号待ちで止まった県境の街の交差点わきに、小さなイタリアの三色旗を掲げた店があった。イタリア料理店のお約束の印だ。焦げ茶の木と白壁の外装は趣味がよく、寄ってみたい衝動に駆られたが、その日は時間がなかった。やむなく通り過ぎようとしたときに、入口のドアわきに植わった小さな木の看板が目に入ったのだ。
『ピザとピッツァの店』
ん? 首を傾げつつ、ぼくはその前を通り過ぎた。
その夜、テレビテキストのことで皮肉を言ったサチに、その話を僕はした。
「ね、変だろ。『ピザとピッツァ』だぜ」
サチは料理本の「渡り蟹の調理法」のページを見ながら聞いているが、上の空のようだった。
「で、ふと、こういうことじゃないかって思ったんだ」
構わず僕は続ける。
「最初は『ピザとパスタの店』って書いてあったんだ。だけど、店主が友達か何かに『お前、イタリアンの店だったら、ピザじゃなくてちゃんとピッツァって書けよ』と言われた。それで書き換えるとき、間違ってピザのほうじゃなくてパスタのほうを消しちゃった。それで『ピザとピッツァ』になったってわけ。どう、この推理見事だろ」
サチは「そうね」と言ったきり、渡り蟹のページから目を上げなかった。
その夜、店の名前につけるカテゴリーネームをリストランテにするかトラットリアにするかで散々揉めた。
それが、サチが僕の家に来た最後の夜になった。

それからはすべて一人で決められるようになった。店を出すエリアも、大きさもメインをどうするか、ピザは石焼窯にするか、効率のいいオーブンにするか。ランチはパスタにするのか、コースにするのか……。すべて自分の意思を通せるのに、どこかで、サチだったらどう言うだろうと考えていることに気づいた。首を振ってそれを払拭することで、僕の店の計画は純化していった。
サチから久しぶりのメールが来たのは、そんなある日だった。
「『ピザとピッツァ』だけど、私はそうじゃないと思う。イタリア風のピッツァとアメリカンなクリスピーピザを両方出す店ってことじゃない?」
頭を殴られたような気がした。確かに、イタリアのピッツァと最近すっかり宅配のものとなったアメリカのピザは、生地の暑さや硬さ一つとっても、また載せる具の種類もチーズも違う。それを両方やる店、というのは、ココロザシ云々はともかくとして、面白くなくはない。
三か月の空白など無かったかのように書いてきたサチのメールを読み返しながら、僕は冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた白ワインをグラスに注いだ。口から頭が冷やされていくことを確認しながら、僕はメールを返した。
「じゃ、確かめに行こうか」
数分間返事がなく、久しぶりのメールに軽々しく返信したのがよかったのか迷い始めたころ、スマートフォンが振動した。
「行くのはいいけど、行くのならせっかくだからどっちが正しいか賭けましょうよ」
負けん気の強いサチの顔が思い浮かんだ。何十軒も食べ歩きをしていたころのことが蘇った。そのころ習慣のように交わしていた会話を、気が付くと僕はメールに打っていた。
「その日ワインを飲む権利を賭けよう。負けたほうが、帰りは運転するんだ」
またしばらく間があった後、返信が来た。
「どうせならもっと大きいものを賭けない?」
「もう少し大きなものって?」
チャットのようにメールを繰り返す。
「店長の座。負けたほうは、一介の店員よ」
思わず、口に含んでいた白ワインを吹き出した。スマホの画面が濡れて、レンズのように広がった液体がサチの思わぬ言葉を大きく映し出した。

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鷹匠裕/作家

作家。コピーライターを経て自動車、旅行関係の短編・コラムのほか長編経済小説を執筆中。
タイトルのLive! Love! Drive!は深く愛するヴィンセント・ギャロの写真集による。

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鷹匠裕/作家

作家。コピーライターを経て自動車、旅行関係の短編・コラムのほか長編経済小説を執筆中。
タイトルのLive! Love! Drive!は深く愛するヴィンセント・ギャロの写真集による。

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